日々ごにょごにょ

なんもない日は穏やかに、なんかあった時は大袈裟に語ってしまう日記。

「ありがとう」

17日間、仕事もせず実家にいた。

 

結婚してからこんなに長期間実家に滞在したことは殆どない。

 

 

今月12日、慌てて帰省したが

既に母は高い熱を出し起きる体力を無くしていて、ひと言も言葉を交わせなかった。

 

でも、亡くなる前日に

 

「ありがとう。お母さんの娘で良かった」と

 

伝えることはできた。

 

 

エンジェルケアを手伝っている時は、まだ母の身体はあったかかった。

 

開いている口を閉じさせてあげたくて何度も試みたが、看護師とふたりでは半開きにするのが限界だった。

 

 

だが

湯灌の際

2回ほど、納棺師が私たちに見えないようにして着替えなどを行った後

 

母の口元は生前のようにきれいな形に戻っていた。

 

 

母がお骨になった後帰宅した初日より今まで、兄が発するダジャレに何度も何度も助けられた。

 

 

父は今も

十分な睡眠が取れないまま。

 

昼間にうたた寝する時はそれを邪魔しないようにしていたが、10分かそこらで大抵目を覚ましていた。

 

「今日はどこに行く?」と父に尋ねられ

 

買い出しだけして後は家で…と思っていた私は戸惑ったのだが

 

気になっていたこともあり

 

「お仏壇見に行く?」と言ってみた。

 

父が僅かでも戸惑ったらこの行先は取り消すつもりだったが、父は即座に

 

「うん。そうしよう。どこに行こうか」

 

と、返答したため

 

ある仏具屋さんに行くことにした。

 

 

店員さんがひとり、あれこれ訊きながらついて回ってきたのを

 

父が殆ど無視するので

 

私が少しずつ答えていくことになってしまい

 

ただお仏壇はどんなサイズのどんなデザインのものがあっていくら位するのかを知りたかった私にとって、その時間はかなりの苦行になってしまった。

 

父は経本をいつの間にか購入することに決めて

(お店を出るきっかけを作ったのだろう)

 

購入の際カタログだけもらい、個人情報は何も話さず店を出た。

 

お店の駐車場を出る時

父が運転を誤るところだった。

 

バックして切り返して店の外に出なきゃなのに

ドライブに入れてアクセルを踏みそうになったのだ。

 

瞬時に私が指摘して事なきを得たが

 

その後の運転は私にするよう言われ、私が運転して、買い出しして、少し遠回りをして兄の職場の前を通り、帰宅した。

 

 

夜には、あるTV番組で紹介されていた釜めしを作った。

 

といだお米の入った炊飯器のお米の真ん中に根元だけ切った新たまねぎを1コまるまる入れて

 

周りに豚バラ肉を並べ

 

だし汁を必要量(普段お米を炊く時より少し少なめ)入れてお塩をふりかけ

 

炊くというもの。

 

 

少し薄味になってしまったが、美味しくいただいた。

 

 

洗い物をしていたら父と兄に別々に

 

「ありがとう」と言われた。

 

私の方こそ

父と兄に助けられっぱなしだったが

 

「助かった」と言われて

心底ほっとした。

 

 

職場復帰が不安だけど

実家にいることを選んで良かった。

 

 

2週間ほど仕事しつつ頑張って

また2週間、帰省予定である。

 

 

その間

父と兄がただ穏やかに暮らせますように…。