日々ごにょごにょ

なんもない日は穏やかに、なんかあった時は大袈裟に語ってしまう日記。

良かったね?

約2年のブランクの後

結局またがんセンターに戻った。

 

所属は別の病院で

支援という形で月6日ほどになるけど。

 

 

ことの発端は4月3日。

 

前年度にしていたデータ入力の仕事は、派遣会社が入札できず、また、私たちがしていた仕事に関して言うと仕事そのものが無くなるとのことで

 

異動を余儀なくされ

 

私の場合、半年ほど前から支援に週に1度入っていた病院Aにすんなり決まった。

 

2月半ばより始めた新たな支援Bに関しては続けるということで、その支援が必要な日を先にシフトを決めて残った日数を決まった曜日にAで働くということとなった。

 

そして始まった新しい年度の初日の11時頃

 

統括より

一昨年の3月まで働いていたがんセンターの

当時復帰を望んでいた仕事の支援依頼(というか復帰依頼)が

がんセンターの統括より私の直属の統括にあったと聞かされたということである。

 

 

がんセンターでは6年働いたが

その間に合計3回の院内の異動をさせられていて

 

私にとっては今や【苦い思い出の現場】である。

 

がんセンターでのデータ入力の日々は、仕事そのものはキツかったけど人間関係は良好だった。

 

働いている期間の長さの分他の部署で働く友達もできた。

 

そういう点では悪くなかったけど

 

仕事に関しては

その院内の異動がつらかった。

 

3回のうち1回は希望していなかった異動先から希望していた(働いていた)部署への復帰だったけど

 

復帰して2年ほどでまた

不可解な異動をさせられたのだ。

 

その異動先から元に復帰させてもらえないと言われ「だったら他の病院に異動させて欲しい」と言って

 

がんセンターを出た

 

…という経緯がある。

 

 

ちなみに

前年度から直属の上司となった統括からはどうやら信用されているらしく

 

支援先AもBも(あくまでも支援の範囲で)とても円滑に穏やかに仕事ができている(一定の評価を得られている実感もあり)。

 

 

がんセンターのその現場が今とても厳しい状況に置かれていることは私にも解っていて

 

支援の依頼を断ることはできなかった。

 

でも

3月後半から続く腰の落ち着かない状況も相まってそんな現場に(支援とはいえ)復帰するのは

 

やっぱりかなり気が重かった。

 

ただ

残業はしないことと

シフトは支援先Bを優先して決めてその後がんセンターとシフトを決めることと

 

その2点を約束してもらったから

 

昨日は腹を決めて築地に向かった。

 

 

がんセンターの統括は私が面識のない人に変わっていて、しかもその人が厳しいと聞いていた。

 

第一印象は

…なかなかに悪かった。

 

何をされたという訳でもないんだけど

段取りの悪さを目の当たりにしてしまったのも、印象の悪さに繋がったかも。

 

迷わずに行ける場所に

知っている人たち

 

私が仕事していた頃からの変更点をいくつか教わり仕事に入った。

 

午前中は時々分からないことがあり向かいに座ってる同僚に質問もしたけど

 

午後には大体分かってきた。

思い出すこともできた。

 

この忙しい時に定時で上がらせてもらうんだから、定時まではしっかりしなきゃってことで

 

目薬をさす間も押しんで入力を進めた。

 

支援の話の経緯についてがんセンター側のお話は午前中に聞くことができた。

 

私の予想どおり復帰の依頼は現場で働く元同僚たちから上がった訳だったけど

 

その前に

 

「人員が足りないんだったら別の(院内の)部署からヘルプを…」などというヘンテコな統括からの提案を同僚たちが

 

そんな効率の悪いことを今はしている場合じゃないのでだりあさんを戻して!

 

と、突っぱねたというエピソード付きだった。

 

同僚側からすれば

1秒も惜しいこの現状に何も分からない新人を入れられて指導している暇なんて作れる訳がない、という訳だ。

 

 

 

とりあえずは

少しは支援できたようで

 

初日の終わりはほっとすることができた。

 

 

ただ

周りの人たちに

 

「戻れて良かったね」

と言われたが

 

それには

やっぱり素直に頷く気にはなれない。