日々ごにょごにょ

なんもない日は穏やかに、なんかあった時は大袈裟に語ってしまう日記。

そして母は天に帰った

昨夜は3時を過ぎてやっと眠気がやってきた。

 

母の傍で眠る父の姿や、控え室のベッドで眠る叔母や兄の寝息に「眠れてる、よかった」と安心しながら

 

自分が具体的に何がつらくて、何が不安で、ならばどうしたらいいかと、なんとか建設的に考えるようにして、眠りについた。

 

 

今朝は自分がかけていたアラームで目覚めた。

 

母の顔を何度も見て、各々ゆっくり身支度を整えた。

 

母の姿がなくなる

そして家で過ごす

 

それが何よりも、つらくて不安だった。

 

 

葬儀の最中や出棺前には、涙が止まらなかった。

 

たくさんの花に囲まれた母に最後に触れて、出棺された母と共に霊柩車に乗った。

 

運転してくれている担当者と父の会話を聞きながら、なんとか涙を止めて、隣に眠る母の棺にもたれて火葬場まで過ごした。

 

母がお骨箱に入る時間は容赦なくやってきた。

 

火葬場での待合では父方のいとこと話をして過ごした。

 

みんな口々に言う。

 

「お父さんを支えてね、あなたが頑張るのよ」

 

その言葉は、とても聞くのが苦しかった。

だけど、それは必要なことなのも解っている。

 

思い出話

花を咲かせるいとこたちの話を聞きながら、母は腫瘍や痛みから解放されるのだとおもうことにより、お骨と向き合う覚悟を決めていった。

 

お骨は、箸渡しをせず、何度も順番にお骨箱に収めていった。

 

不思議と涙は出なかった。

 

傍で父が小声で

 

「お骨、食べたい」と言ったので

 

一瞬迷った後

 

「でも、熱いよ」

 

と、返した。

 

お骨が収められていく間に、なんとか父の願いを叶えたかったけど

 

係の方がお骨箱を包んでる間に父に

「今ならお骨を拾えるよ」と話したけど

 

父は「熱いが」と言って、自分の願いを心の中にしまった。

 

 

告別式を行った会場に戻る道すがら主人に

 

「お義母さんしんどかったんだろうなぁ、骨がボロボロだった。父の時はあんなにお骨が崩れてなかったもん」

 

と、話していた。

 

 

帰宅後、母が主に過ごした部屋に小さな祭壇が祀られて、母のお骨はそこに収まった。

 

そして、母の姿のない、家での生活が始まった。

 

 

父は無口になり、叔母も叔母の家に帰り

3人になった家は、TVの音だけが響く静かな場所になってしまった。

 

 

私は場の雰囲気を明るくする力がない。

父がつらそうなのに、どうしたらいいか分からない。

 

今晩はそのことで、泣きそうになっている。