日々ごにょごにょ

なんもない日は穏やかに、なんかあった時は大袈裟に語ってしまう日記。

母の眠る場所と帰省あれこれ

8日に念願のサンライズ出雲に乗り、帰省。

 

とにかく大興奮の寝台特急だった。

 

同僚ちゃんと銀座で夕飯を取り、疲れている中彼女は21時頃まで私に付き合ってくれた。

 

そのおかげで、私は仕事上がりからサンライズ出雲入線までの時間を退屈せずに東京界隈で過ごすことができた。

 

東京駅9番線ホームに着いたのは21:30頃。

13号車の乗り口に向かって歩く途中でサンライズが入線。

 

カメラなどを構えている人は今まで乗ったどの列車を待つホームよりも沢山いて

 

私も片手間ながらiPhoneで入線するサンライズを動画撮影した。

 

入線した動画撮影を終わってから乗り口に着いて、電車側面にある表示を撮影して

 

それから車内へ。

 

キャリーバッグを持って2階に上がり、該当の部屋を見つけて入室。

 

身幅よりも少し余裕がある寝台に靴が数足置ける程度の足場。

 

窓からはホームを見下ろせた。

 

1度ブラインドを下ろし用意した部屋着に着替えてからまたブラインドを上げて、薬を飲んだり飲み物を飲んだりしながら外を眺めていると

 

やがてちょっとの衝撃の後サンライズは発車した。

 

車内放送を、夜景を写しつつ録画。

 

車内でWiFiがないことやそれにより退屈することを想定して編物とか電子書籍とか用意したけど

 

それらはおろか

 

イヤホンで音楽を聴くことすらする気になれず、ひたすら外の景色を見ていた。

 

新幹線では通らない、在来線の夜景。

高速バスでは殆ど見られない、沿線の夜景。

 

新幹線では通路側に乗り、ずっとスマホを触って過ごすのに

 

それだけの違いなのに、夜景を見ながら過ごすのに全く退屈を感じなかった。

 

23時にはおやすみ放送を聞き、結局静岡までほぼずっと夜景を見ながら過ごし、それからブラインドを閉めて寝た。

 

途中目が覚めた時はちょうど名古屋を通過するところだった。

 

岡山到着の少し前に目覚ましで起きて

着替えてからまたブラインドを上げて外を見た。

 

岡山での連結を外す作業は見られなかったが、下りるのがとても勿体ないと感じた寝台特急だった。

 

 

実家ではゆるーりと過ごした。

 

日曜日には兄とドライブをして少し遠くの道の駅に行った。

 

父も一緒にみんなで行く予定だったが、父は腰痛のため留守番をすることとなったためだ。

 

道中笑いながら過ごし、道の駅では猪の肉などを買い、お昼にはうどんを食べて

 

帰りにもイオンに寄ったりして夕方前に帰宅。

 

 

その後は特に予定もなくゆっくり過ごしたが

 

14日の月命日には父と、母が眠るお寺に行った。

 

午前中に家を出て、母の葬儀を行った会館の向かいの店でお供えのお花を買い、そこからお寺へ。

 

そのお寺の納骨堂は、ちんまりしたものがふたつ並んで建っていて、駐車場から向かって右側のお堂の中に母は眠っている。

 

そのお堂の前に置いてある大きめの花瓶に花を差し

 

そこでお線香を忘れたことに気づく。

 

お堂に入ってしまうと母のお骨にすら会えないということを淋しいと思いつつ

 

鍵がかかったお堂の扉に向かって合掌。

 

その後は少し遠回りしてドライブして、買い物。

 

食材の買い物が終わり車に乗ると父が

 

「服はいらんか?」と訊いた。

 

その買い物をした店の近くに、ユニクロとGUがくっついてるところがある。

 

何度も訊いたけどアウターを買ってもいいと言ってくれたので、淡い色(父が選んでくれた)のダウンと、冬に履けるあったかいパンツを買ってもらった。

 

 

今日、駅までの道中で、次回の帰省予定を父に訊かれ、12月にと答えたら

 

「またサンライズに乗っておいで。お父さんがお金出すから」

 

と、言われた。

 

 

正直自分でサンライズの運賃を工面するのは少し大変なんだけど

 

やっぱり自分で工面してまたサンライズに乗って帰省しようと思った。

 

 

…転勤になるとそれはできなくなるけど。